此臺の清風たゝちに心涼しく西方仏土もかくあらんと 本とゝす 爰をさること 遠からす 一茶坊
文化14年(1817、一茶55才)6月で、「七番日記」にそのことが記されています。一茶は前年9月16日に信州柏原を発ち高山村方面を廻り、10月1日に江戸の本行寺住職一瓢を訪ね、俳友で庇護者の夏目成美の死に遭遇、下総守谷西林寺の鶴老、馬橋の大川斗囿、布川の吉田月船などに身を寄せ、潮来などを行脚して5月27「卯上刻出船 二百六十四文 未下刻銚子ニ入」と記しています。潮来(当時は板久)から銚子までの船賃264文は約8000円ほど。翌日、「(大里)桂丸宅ニ入」。その後、俳友桂丸と李峰とともに円福寺や千人塚等を巡り、6月1日の日記には三人で浄国寺を訪れたことを次のように記しています。
「一晴 南風 返田浄国寺登望西台 桂丸 李峰同」
望西台は一茶の句碑が立っている場所で、かつて日観亭と呼ばれる庵があって渡辺崋山など多くの文人墨客が訪れたとのこと。一茶句碑の傍らに望西台の石碑もありました。銚子は江戸の初期から利根川を利用した東北地方と大消費地江戸の流通拠点として、また、地場産業の漁業や醤油の拠点として、経済的にも文化的にも豊かな土地柄です。
一茶はその後、6月2日に銚子を発ち、田川、布川、馬橋等を経由して江戸に入り、歌舞伎を楽しんでいます。そして6月27日江戸を発ち、7月4日、七泊八日で10ヶ月ぶりに故郷柏原に帰り着いています。
お問い合わせ | 0479-24-8181 |
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住所 | 千葉県銚子市春日町23(浄国寺境内) |
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交通・アクセス | JR銚子駅下車徒歩5分 |