銚子電気鉄道株式会社

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銚電ストーリー
(奇跡のぬれ煎餅)

~人と人はどこかでつながっている~
      
 
苦闘を続ける鉄道事業をぬれ煎餅が救う
 
銚子電鉄は1913年(大正2年)に地元有志によって設立された銚子遊覧鉄道を母体とし、第一次大戦中に廃線となった後、1923年(大正12年)に復活した地方鉄道です。
当時は「銚子鉄道」の名称で銚子-外川間をガソリン車で運行し、開業間もない1925年には早くも電化され、電車が走るようになりました。
しかし、第二次世界大戦で1945年、銚子大空襲で車庫や変電所は被災し、一時運行不能となりました。
1948年(昭和23年)に銚子鉄道は企業再生整備法により、銚子電気鉄道として再発足し銚子鉄道から車両・施設を引き継ぎました。
通勤・通学、観光客のみならず、ヤマサ醤油の輸送業務を行う貨物路線としても活躍していましたが、高度成長期以降のモータリゼーションの波に押され、厳しい経営状況が続いています。
昭和40~50年頃には150万人を数えていた利用者数も平成に入ると100万人を大きく割り込み、昨今では50万人前後を推移する状況にあります。
当社のこれまでの歩みは決して平坦なものではなく、数度に亘り廃線の危機に瀕し、その都度、奇跡的な復活を遂げるという稀有な歴史を辿って来ました。
平成10年、親会社の倒産により当社も連鎖倒産の危機を迎えましたが、副業で始めたぬれ煎餅が多くのメディアに取り上げられ、副業売上げが本業を上回る形で危機を乗り切ることができました。
しかし、平成16年には親会社の社長も兼ねていた当社代表の個人的な債務をそのまま会社が背負うこととなり(形式的には社長による横領事件)、再び倒産の危機に直面してしまいます。
それまで必死に資金をつないで来たものの、債権者からはぬれ煎餅の売掛金を差し押さえられ、預金残高は減少を続け、復活への糸口は見出せないままでした。
もとより鉄道事業を維持するためには膨大なコストが掛かります。
鉄道収入が減っても、コストの急激な削減は困難なため、必然的に大きな赤字が発生してしまいます。
そこで多くのローカル鉄道は国や自治体から補助金を受けて鉄道事業を継続していますが、残念なことに当社の場合、先に述べた不祥事ゆえに、補助金等の公的支援を受けられないという状況に陥っていたのでした。


ぬれ煎餅ブーム、再び

その頃、新たな資金調達が殆ど不可能であったため、何とかしてインターネットでのぬれ煎餅の売り上げを増やそうと、当時の顧問税理士(現・代表取締役)が「銚電オンライン・ショップ」を急ぎ作って立ち上げました。
しかし当初の平均的な売り上げは1日1万円程度であり、過重な債務負担を考えると、もはや焼け石に水でしかありませんでした。
ところが・・資金繰りがいよいよ逼迫し、今月の給料がもう払えないところまで追いつめられた時、再び奇跡が起きたのでした。それは、当時の経理課長・山﨑勝哉(現・専務取締役)が電車の運行維持のため必死で考えた「ぬれ煎餅買ってください。電車修理代を稼がなくちゃいけないんです」という異例のお願い文に端を発した、再度のぬれ煎餅ブームでした。
横領事件後に代表取締役に就任した小川文雄(故人)、労働組合委員長・常陸谷恭弘の連名による緊急要請の冒頭文として、公式サイトにこの一文が掲載されるや否や、全国から銚電オンライン・ショップに一万五千件もの注文が殺到し、これを契機として運行維持への弾みがつき、最終的に倒産の危機を回避することができたのでした。


デジタルの向こう側にアナログの温かい心がある
 
インターネットというデジタルの世界の向こう側に、アナログな温かい人々の心がある・・10枚入りで800円を超えるぬれ煎餅は、決して安いものではありませんが、毎日たくさんの方々に購入して頂き、また励ましの言葉を戴きました。
 
「銚子電鉄頑張れ」
「鉄道の灯を守り続けてください」
「銚子電鉄が頑張っているから、私も頑張らなくちゃ」・・・
 
そしてぬれ煎餅の購入のみならず、10万人を超えるお客様がわざわざ銚子電鉄に乗りに来て下さったのでした。
これにより鉄道部門の赤字は減少し、副業の利益と合わせてようやく黒字基調に転換することができました。先の不祥事によって、公的支援の途を閉ざされた中、応援して下さるすべての方々の温かい心こそが、私達「銚子電鉄」にとっての“補助金”そのものだったのです。
時ならぬ“ぬれ煎餅”ブームを通じて私たちが学んだことは、「人と人はどこかでつながっていること」、「苦しいときに助けを求めることは決して恥ずかしいことではないんだということ」、そして「最後の最後まで諦めないで頑張り続けることによってのみ結果が与えられる」ということでした。
どんなに現状が苦しくても、最後まであきらめずに挑戦を続けることが銚電マンの真情であり、誇りです。この気持ちは今も社員全員の胸の内に生き続けています。


鉄道存続に向けて再度の挑戦
 
平成23年3月に起きた東日本大震災。東電の原発事故に伴う風評被害によって銚子を訪ねる観光客が激減してしまい、鉄道収入も大幅に減少するという事態に見舞われ、未だ業績は回復せず、当社の鉄道事業は再び大きな危機を迎えています。
幸いにしてぬれ煎餅事業は、沢山の方々の共感を頂き、事業は好調に推移しています。
そして平成26年6月、より多くの需要に対応すべく、銚子市小浜に新工場を立ち上げると共に「せんべい博物館」ともいえる「銚子電鉄ぬれ煎餅駅」を開業するに至りました。
このように鉄道を支えるぬれ煎餅事業は好調を維持しているものの、震災後の経営状況は厳しく、会社全体としては赤字基調が続いています。
今後の課題は大変に多く、車両の更新を始めとして鉄道諸施設に係る費用の捻出ができないため、国と自治体の協調補助を受け、再生を果たすべく経営改善計画を策定し、現在再生事業年度の第2期目を迎え、業績回復に向けてその計画を着実に実施しているところです。
赤字部門の縮小・撤退は企業経営の鉄則といえますが、鉄道会社は一般企業とは異なる社会的存在であり、特に当社では小学生から高校生まで多くの生徒が通学に利用しているほか、お年寄りなどいわゆる交通弱者の足としても機能しております。
また銚子観光の「背骨」と言われ、鉄道の存在そのものが地域住民及び地域経済にとって重要な意義を有しています。
それゆえ、鉄路の存続こそが当社にとっての至上命題であり、私たちの存在意義そのものであると日々痛感しております。
 

応援団の結成と銚子商高生によるクラウド・ファンディング

こうした中で、私たちが最も重要視していることは、沿線住民やファンの皆さんと一つになって鉄道を一緒に盛り上げていくという姿勢です。
地域鉄道を支える応援組織の結成こそが鉄道存続への必須条件であると常々考えていたところ、平成26年6月28日、銚子市の協力の下、銚子電鉄応援団が結成され、以来、支援者の皆様と共にひまわり畑を沿線に作ったり、各種イベントを共催したりと様々な活動に取り組んでまいりました。
そんな折、応援団の一員である銚子商業高校の生徒による「クラウド・ファンディング」が大きな反響を呼び、平成26年1月に脱線した車両の修繕費用として、500万円もの資金を集めて下さいました。
若い力を結集しての取り組みに心から敬意を表すると共に、実際に資金を提供して下さった全国の皆様に感謝の想いでいっぱいです。
このような応援を背に受けて、我々も鉄道事業存続のために一層頑張らなければと身の引き締まる思いでおります。
今後とも応援団の皆様と一つになって、共に手を携えてローカル鉄道の灯を消すことなく、次の世代へと引き継いでまいりたいと思います。
 

終わりに・・ありがとうの“向き”を変えること

厳しい経営環境の下、これまで数え切れないほど沢山の方々の助けを頂きながら、銚子電鉄は開業以来90有余年に亘って走り続けて来ました。
この間、ご支援いただいた皆様には「本当にありがとうございます」の言葉以外見つかりません。 
 今後、少しずつではありますが、地元住民の方々を始めお力添えいただいた皆様への恩返しをしてまいりたいと思います。
そしていつかは、皆様に「銚子電鉄がこの町にあって良かった♪“銚電、ありがとう!”」と言ってもらえるような鉄道会社を目指し、奮闘を続けているところです。
思うに、ローカル鉄道とは、その地域や街の変遷を見届ける「時代の生き証人」に他なりません。
開業当時の関係者の方々は皆、鬼籍に入られていますが、その方々全員が、未来永劫に亘り列車が走り続けることを願っていたに違いありません。
もとより、一度失った鉄路は二度と戻っては来ない。
我々を必要とする人たちがいる限り、鉄道の灯火を消してはならない。
そんな思いを胸に、どんなに厳しい状況にあろうとも、私達は鉄道業の存続を諦めることなく、地域の皆様、鉄道ファンの皆様の応援を背に受けて、全力を挙げて挑戦を続けてまいります。
どうか今後ともご支援、お力添えの程、よろしくお願い申し上げます。
銚子電気鉄道株式会社 代表取締役社長 竹本勝紀